ここにあるものは全て唯一無二
こんにちは、そのうち億万長者になるアラサーOL、略して億万長者OLです。
なんだか、こうして文章を書くっていうのはとにかくいいことだな、と改めて思ったのでその理由というか考えの道筋を書いていきたいと思います。
普段している仕事は、誰でもできることをしています。
誰でもできることを、より早く、上手にするために頑張っています。
なので、私がお休みしちゃっても、誰かが代わりを務めてくれるのでなんとかなります。
上司の方針に沿って物事を進めています。進めるにあたってよりスムーズにできるかどうかが評価になります。
それでいいんですけどね。誰かがいなくなったら立ち行かなくなる組織は脆すぎますから。
誰でもできて、誰かがやらなければならないことを私がやっています。
大切なことです。
仕事ではそういう誰かがやらないと困ってしまう誰でもできることを出来るだけ上手にやれるように頑張っています。
でも、こういう文章って、この世に同一のものが何にもないじゃないですか。
似たような考えの人がいたとしても、一字一句同じ文章にはなり得ない。
私が思ったことを、下手くそかもしれないけれど私の頭の中にある語彙を絞って書いているので。
「私の気持ちを文章にしたもの」は「私が書いたもの」以外にないんですよね。
こうやって思ったことを書いているだけなのに、この世にひとつしかないものを作っているって改めて考えると結構凄くないですか?
なんだか、普段「私より上手にできる人もいるけれどそういう人はもっと複雑なことをするのに能力を使っているから、能力が劣る私にできる範囲で頑張っている」っていう気持ちが抜けないんですよね。
上司や周囲が有能で、私のやれることをやらせたら、きっともっと早く丁寧に仕上げることができるんですよ。
だけれど、私にはできないもっとレベルの高い仕事をして手が開かないので、私がやっている。
だから、「もっと早くできると思っていた」「もっとこの辺りまで気配りできるといいのに」
みたいな視線を感じるとちょっと凹むわけです。
でも、足りない手を補っているわけですから、私も必要な人材なんですよね。
わかっちゃいるけれど、デキる人に私のクオリティでガッカリされるともっとデキる人だったらな、と悔しいのです。
でも、私の気持ちを書くことは、私以外に誰もできないことなのですよ。
誰もできない。上手いも下手もない。私がより上手に私の気持ちを伝えられるようになることはあっても、他人が私より秀でることはなく、またこの世に二つとないものしか出来上がらないのです。
それめっちゃよくない?
みんな気持ち書いてこ!